俺のサラメシ

今日はJEVAさんのことを書こうと思う。
いつだったか、NHKの「サラメシ」に出演していた。
その理由は彼のナンバー「サラメシ」。PVはほぼNHKの番組「サラメシ」。
サラリーマンの哀愁みたいなのも感じる。

JEVAさんは工場に勤めながらラッパーとして活動している。
共感する部分がありながら聞いた。声もいい。
気が付けば口ずさんでいるときがある。
イオンに行けば「イオン」、仕事で落ち込んだ時は「真ん中」、
頭の中で流れ続ける。

彼が「憧れのものに近づけるよりも、自分のうちにあるもので曲を作るほうがいい」とインタビューで語っているのを読んだ。
憧れから「こうなりたい」というのもきっかけとしては大切だが、結局はすべて自分の中から出てくる事。周囲がどんどん自分の成し遂げたい道を進んでいくのを見ると、焦りが出るが、もしかして「やりたいことをやる」という誰かの呪文にかかっているだけではないか?
ラッパーへの尊敬からくる、自分もそうありたいという思い。
それとは裏腹に「こうしたい」や「やりたいこと」を『見つける』ことにやはり縛られている。ネガティブに考えてしまうのは、社会人になって疲れが溜まっているのだろうか。

JEVAさんのように自分のうちにあるもので曲をつくるということは出来ないが、角度を変えて自分の中をみると、しっかりと自分の考えはあるし、すごい大きな事ではないが、日々やりたいことが実は溢れていたりする。日々のやりたいことの積み重ねが、うねりになり、さらに大きな波となって、どかんと自分の根幹をゆるがすような「何か」が出現すると思いたい。

そんな事を考えながら、今日も私は仕事へ行き、
♪中井貴一も来ない
♪哀愁漂う 冷えたサラメシ食べ、
♪おらが町にきた イオンに行く。

こんな時代だからこそ

更新に随分間が空いてしまった。そして、そうこうしているうちに、気づけば世界はすっかり変わってしまった。
コロナウイルスの猛威により、世間は混乱、生活は一変。マスクの着用や外出自粛が呼びかけられているが、その危機意識は若者から高齢者まででかなりの差があるように感じる。そんな中、ラップ業界にも動きがあった。

まずは、世界で活躍するラッパー、MIYACHI。彼が住んでいるニューヨークは、コロナウイルスにより多くの観光スポットが閉まり、店内での飲食も禁じられるなど深刻な影響を受けている。
Twitterで「今の世界の状態について曲を書きました」と延べ、3月20日に急遽リリースされたシングルのタイトルは『MASK ON』。
フェスやイベントのキャンセルや延期も相次ぐなど音楽シーンも打撃を受けている中、MIYACHは“曲中で、”コロナ死亡する 心配もうない オレらのsoulは生きてforever”と、コロナに負けない魂を訴えていた。

また国内では、フリースタイルダンジョンで一世を風靡した般若が、4月4日にYouTubeで新曲を公開した。『インダハウス』というタイトルのナンバーで、映像では「コロナ殺す!」と書かれた黒いマスクを着用した姿が印象的だった。
“みんな家を出るな マジで言ってんだ 今は本当我慢しとけ 家でNetflix観とけ 日常取り戻す その日が来るまで”、”家に居る事が今1番カッケーな”といった外出自粛を呼びかけるリリックが登場する。

こんな時代だからこそ、若者が支持するラップ業界だからこそ、伝えられることがある。偉大な彼らの曲を家で聴きながら、1日も早く日常が戻ることを祈ろう。

高いハードルは『くぐれ』

今日はJimmennusagi(ジンメンウサギ)さんについて語ります。彼の4thアルバム『LXVE 業放草』に収録されている『Tokyo』を聴いていたからというのもありますが(笑)この曲は、サラリーマンが酔いつぶれている駅構内や、電車内での席の取り合いなど、都会の駅でのありふれた情景を描写することで、無自覚なまま「Tokyo」という街に染まっていく様子を表現している曲だ。

現実がどうとかに囚われず、とにかく「やりたいことやる」という姿勢を体現しているジメサギは私にとって尊敬するラッパーで、語り尽くすとキリがない。「こうだから」じゃなくて「こうしたい」で物事を捉えるラッパー、そしてその中でも突き抜けているジメサギ。物事の捉え方を変えることが新しいことを創造する上で大事だということを、私はジメサギから学んだ。

元々ニコニコ動画でラップを配信していた方で、今は自分でレーベルを立てて、プレイングマネジャーとして活動している、異色派なのだ。最近では、AIさんのアルバムに客演参加して、ジャンルの垣根を超えた活躍を見せている(この前マックで流れていて感動)スタイルはすごく柔軟かつ挑戦的で、作品ごとに色んなラップを試していて、特に歌い方が特徴的で、USのトレンドにアンテナを張りつつ、それを上手く消化して自己流に落とし込んでいる。最近では、ラップ界の主流である『トラップ』をコンセプトにしたアルバム『ジメサギ』で、スキルと応用力の高さを証明した。(あまり一概にはいえないけど、売れてるラッパーは自分のスタイルを更新することを厭わない人が多い気がする)

具体的に彼の歌、ジメサギの『やれ』から一部歌詞を引用して。

やれ そのまま前に進め 高いハードルはくぐれ 分からなければググれ

「分からなければググれ」については、これだけハウツーが出回っていて、個人の気持ち次第である程度のことは独学で身につけられる現代において「分からないから」は通用しないし、言ってる間に「ググれ」ってことを言いたいんだと思う。ここもグッときたが、それ以上に斬新だったのは「高いハードルはくぐれ」だ。

この歌詞に入る前にジメサギは「俺も俺のゲームをしなきゃな」って歌ってるんだけど、このリリックを踏まえて「高いハードル」を「誰かが決めたルールに基づく、誰かによるゲーム」と解釈すると、前進するために、目の前のハードルを「飛ぶ」のが無理なら「くぐれ」ばいーじゃん、自分のルールに基づいたゲームしていこうぜっていうメッセージが「高いハードルはくぐれ」から読み取れる。頭が柔らかくないとこういった発想は生まれてこないだろうし、「こうあるべき」で物事を捉えてきた自分にとっては、「良薬口に苦し」といった感じだ。

自称「ラップ界のざわちん」ことジメサギ

今年も注目していきたい

『こうだから』ではなく『こうしたい』

「今こうだから」っていう現状追認じゃなくて、「こうしていきたい」っていう自分達の理想に基づいて現実を変えていこうとする姿勢を、私は多くのラッパーから学んだ。

ラップに出会うまでの私は、周りに「今こうだから」と言われると「そうなんだ」と何の疑問ももたずに素直に従っていた。そうやって生きる方が衝突も、誤解も無く、平穏に過ごせると無意識のうちに感じとっていたのだろう。

大人から言われた通りに過ごす。
友達と横並びで過ごす。

このスタンスで生きれば穏やかな海のような生活を送れる。それに逆らって突っかかっている同級生を見ると「もっと上手くやればいいのに」と思う事もあった。しかし、私の深い深い深部でも得体のしれない感情があり、時にそれは揺れとして表面化する事もあったが、向き合う事なく、それに目隠しをして生きる事を選択した。

大学に入り、ラップに出会って、視界が一気に広がった。今まで目隠しをして見てこなかったが、自分の中にも「こうしていきたい」があったのだ。自分の中にあるものを、臆することなく、感情をぶつけるサイファー。これには素直に憧れる。

自分達のイメージで街を捉えて遊びを生み出していくサイファーは、公園や駅前、ロータリー、高架下に集まる。ただ、サイファーの認知度はまだまだ低く、『ラップ=ガラが悪い』という印象を抱いている人がいるのも事実だ。駅前、ロータリーは他の通行人の迷惑にならないように、公園(特に夜間)は近隣住民に騒音迷惑にならないようにと配慮が必要になってくる。高架下はそもそも人が集まる場所ではなく(高架下に飲み屋などあれば話は別だが)電車が行き来する度に騒音もあるので、サイファーにはうってつけの場所ではないかと思う。このサイトを見ると、今後も高架は増えるだろう。そうなれば、サイファーも集まりやすくなるのではないだろうか。

イメージが創る、『サイファー』という新たなゲーム

私の地元九州と比べると、大阪はヒップホップグループが多い印象がある。『韻踏合連合』とか『コッペパン』とか。今テレビで知名度が急上昇中の即興ラッパー『R指定』は「梅田サイファー」に参加していた。

大阪はサイファー文化が根付いている土地なのかもしれない。サイファーの素晴らしいところは、場所の制約を受けないところだと思う。駅前以外では、高架下でやっていたり、普通なら誰も目にくれないような場所がフィールドになる。

さっき取り上げた「梅田サイファー」も、阪神梅田駅に向かう歩道橋の上でやっていたらしいし、大阪はごちゃごちゃしてるイメージがあるけど、そのまま放置するのは勿体ないくらいのスペースって、意外とあると思う。

やってる本人達はそんなこと考えないのだろうけど、街の「余白」を有効活用して「遊び場」にするサイファーって、結構奥が深いのかもしれない・・。こういう街の捉え方って、坂口恭平のホームレス論とかとも結びつけられる文化だね。彼は「こうあるべき」っていう「ISM」じゃなくてより綿密に対象を捉えていく「I zoom」って考えを述べていたけど。一見何の価値もない場所に価値を創造していく姿勢って、すごくクリエイティブだと思う。

街の細部を捉えて遊び場を作り、自分達のゲームを創造する手段としてのサイファー。いつから活発になったのか気になるけど、公園や空き地といった「与えられている遊び場」の減少と関係しているのかなぁ、と推測している。

サイファーとの遭遇

「今日も頑張った自分!」と労をねぎらいながらバイト先の最寄り駅に着いたところで、脇の方から何やら賑やかな音が聴こえてくる。音の方向に歩いて行くと、ビートボックスを囲んで5〜6人の集団がラップをしていた。

噂で耳にしてはいたが、これがいわゆる『サイファー(ヒップホップ)』か。
※サイファーは、複数人が輪になって即興でラップをすることである。(Wikipediaより)

実は私、大学に入学してからラップ音楽が好きになりまして。最初にYoutubeで見たときは、強面の人達がオラついて歌ってるなーくらいの印象だったけど、歌詞から浮かび上がってくる、変に勘ぐらないでシンプルに物事を捉える姿勢に興味を抱くようになり、今では自分でアルバムを購入するくらいどっぷりはまっている(笑)
(1年前の自分にこのことを伝えたら確実に驚くだろう)

ただ、ラッパーのライブはどうしてもクラブ中心になるので中々足が向かわず(こ・・怖い)こうした『リアルな現場』は初めてだったのでとても興奮!このサイファーではどういった言葉の応酬を繰り広げているのか、興味が湧き、でも近くに行く勇気はなく、遠目から様子を眺める。

♪これが俺のやり方 言葉で見せる生き様
♪盛り上げてく地元が最高 馴染みの仲間に溢れる愛情
♪やり方⇄生き様
♪最高⇄愛情

おぉ!韻を踏んでる!!(感動)
自分達で楽しみを見つけていく姿勢は見習わないとな〜と関心。もう少し聞きたかったけど、明日は朝からバイトが入っているので早々に切り上げる。